炎部さんちのアーカイブス あるいは永遠的日誌Ver.3

日々是モノカキの戯言・駄文の吹き溜まり

差別表現だって日本語です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080609-00000054-zdn_n-sci
【差別表現 ブロガーも問われる責任と人権感覚】

古来、人間は自分より下の立場の人間の存在を欲した。
いわゆる、差別用語とか差別表現は、それゆえに生まれた言葉。

それは決して綺麗な言葉ではないにせよ、曲がりなりにも日本という国が生んだ、れっきとした「日本語」

それを「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」と半ば一方的に断罪し、先人達が培って来た“言葉”という財産を自ら葬ろうとしている。

…と書くと少々誇張表現かもしれないが。



実際問題、人の言葉尻取り上げて「それ差別!」でぎゃーぎゃー騒いでるのって要は言葉狩りだろ?

先日だったか「障害者」という言葉の【害】って漢字が差別っぽいから「障がい者」に改めるってのがあったけど、漢字をひらがなに変えたところで読み方は変わらないし、意味も変わらない。

なにがしたいのかさっぱりわからない。


かつて、かの石ノ森御大の名作「サイボーグ009」にて、差別表現に繋がるとして、その多くが改変された、という事実もある。

当時はそれほど問題ではなかった(問題視されなかった?)ものが、後年問題視され、改変されてしまう。
漫画や映画のように、後世に残るものがそれでは意味が無い。


今のところは不要だが、俺の書いている小説だって、追々差別表現や差別用語が必要になるときがあるかもしれない(ないだろうけどね)。

そりゃ確かに、オブラートに包む表現方法だってある。たとえば、失明した人を表現して、盲目などの表現を使うことが差別に繋がるなら「光を失った」などというふうにだ。

しかし、万一それが通用しなければ?

俺が「作品」として書いた小説が、たったひとつの差別的表現、差別用語を(半ばやむを得ず)使っただけで、糾弾されなければならないのだろうか。






差別をするのは人間だ。差別をする人間が造り上げたのが「差別用語」であり、「差別表現」だ。


「ことば」そのものに、罪は無い。



いちモノカキ、炎部紅蓮は、そう思う。



http://webclap.simplecgi.com/clap.php?id=homurabe
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