シーン1:噂のS/荘吉とマツ
見渡す限りに風車が溢れ、常にどこかでそれらが回る街――風都。
その街を流れ往く風の一端に、どこからともなく珈琲の香りが混ざる。風の来た道をたどれば、その先には古びたビリヤード場。
その2階の窓がわずかに開き、珈琲豆の煎られる香ばしい香りと、焙煎網を転がる豆たちのリ
ズムを外にもたらしていた。
「荘吉……やめときな」
その室内……<鳴海探偵事務所>で、珈琲豆を煎る白いベストの男――鳴海荘吉に、苦笑しながら眼鏡の男が声をかけた。
「……断る」
その眼鏡の男に一瞥をくれた後、荘吉はしかしハッキリと否定の意を口にする。
と、その手元で芳醇な香りが急に渋くなる。同時にさわやかなロースト・サウンドも不協和音に変わり、中の珈琲豆は無残な姿へと変貌した。
荘吉が立ち上る焦げ臭い煙に噎せかえる。「やり直しか……」と呟き、焦げた珈琲豆をゴミ箱に滑り込ませた。
「っもう、意地張らないでよ」
自分の方に向かってくる煙を手うちわで退け、眼鏡の男は荘吉のもとへ歩み寄る。
「僕が調べあげたこの資料を読んで、作ってみれば?」
一発ですから♪ と眼鏡を光らせ、指を鳴らしてみせる。その彼の手には、お手製であろう<最高の珈琲のいれ方>と題されたノートがあった。
「マツ……」
荘吉が眼鏡の男をそう呼ぶ。マツ――松井誠一郎の得意げな笑みと、ノートを見比べ、ひょいとひったくった後、荘吉はノートを机の上に無造作に放り上げた。
「お前は最高の“相棒”だが珈琲に関しては力は借りない! 何故ならばだ……」
「『珈琲はお前と出会う前からの人生の“相棒”だからだ』……って言いたいんでしょ? 解か
ってますよ」
おどけた口調で“相棒”のセリフを拝借し、マツはゴミ箱を片付けようと入り口とは別の扉……かつてここがビリヤード場の事務所であった頃、バックヤード兼倉庫に通じるための……に手をかける。と、荘吉が鋭い口調でマツを呼び止めた。
「いつも言っているよな? その扉に触るな。“幽霊”が出る」
いつのころからかその扉は完全に閉ざされ、バックヤードは開かずの間と化していた。有無を言わせないその態度に、マツはニヤニヤしながら口笛を吹いてみせる。怖いもの知らずの鳴海荘吉の弱点を垣間見たような気がして、少しだけうれしそうにマツはゴミ箱を定位置に戻した。
「……そういや最近、来ないな“彼女”?」
そうマツが呟いたのと、事務所に置かれたアンティークの電話機……荘吉の趣味だ……がベルを鳴らすのは同時であった。
「……俺だ」
相手の想像がついていたのか、名乗ることなくそう受話器に応えると、返ってきたのは少々苛立った“女”の声であった。
『私聞いてないわよ、荘吉? ボディーガードしてくれる約束でしょう?』
「……うわさをすれば、だ」
相手に聞こえないように送話マイクをふさいで、荘吉は肩をすくめてマツに報告する。
「メリッサ!? 彼女に何かあったのかい?」
予測を的中させたマツの声が半オクターブ跳ね上がり、即座に落ち着いて心配そうな声色に変わる。
“鳴海探偵事務所の影の所長”を自称する“女”は、この風都きっての歌姫である。マツのみならず、ファンは多い。
その所長から託された、“ファンレター”のひとつを、荘吉はマツに手渡す。
禍々しい紫色を基調とした封筒の裏に書かれた差出人の名を見て、マツは眉根を怪訝にひそめた。
「“蜘蛛男”……?」
「“敵”はそいつだ」
彼女の苛立ちの元をそう説明して、荘吉は再び受話器に向かう。
「すぐ行くよメリッサ。……心配するな」
お前は大事な“妹分”だ。
そう優しげな声で囁いて、荘吉は受話器を置いた。
・
・
・
「荘吉のバカ! ……いつも子ども扱いしてさ」
切れた電話の向こう側で、メリッサの不満が呟きとなってこぼれたが、神ならぬ荘吉にそれが届くことはなかった。
-To be continued-
ようやくDC版が手に入ったので、執筆再開ー。
一応セリフ回しはDC版を参考にしていますが、地の分や描写優先で劇場公開版のほうに差し替えたりしてます。
是、機に臨み変に応ずの心得也。
シーンタイトルの後半部分に関しては、DVDのチャプタータイトルを参考に。もちろんこの限りにならないことのほうが多そうなので、これまた臨機応変に。
また、前半のイニシャルについては、今回「S」で統一しようと。
考えてみればスカルもスパイダーも、同じ「S」。もうこうなったらとことんまで行こうかってことでひとつ。
映画を観た人も、DC版を観た人も、どっちも観てない人にも楽しんでもらえる作品を目指す。
※2014年05月02日 mixi日記初出