深夜の病院。
その中の一室が―――爆ぜた。
弾けたように割られた窓ガラスと同時に、黒い影が飛び出し、次いで白いコートが二つ、空を舞う。
ひとつは冴島鋼牙の。
もうひとつは僕……雪野透の。
「…くっ、間に合わなかったか」
空を走る中、ちらりと病室を一瞥して、僕は歯噛みする。
ホラーは、病室で眠っていた妊婦を一人喰らい、のうのうと逃げ去ろうとしている最中だった。
「悔やむのは後だ!」
「わかってる!」
先んじて地面に降り立ったホラーを追いながら、鋼牙が空中から魔戒剣を投げつける。狙いは寸分たがわず、その切っ先はすぐにでも魔獣を地面に縫い付ける…かに見えた。
「何!?」
絶句する僕の眼前で、ホラーはバラバラのパーツに散り、牙狼剣の突撃を躱した。ややあってひとつの体に戻ったホラーを、次いで着地した僕が魔戒剣で切りつけるが、それもすぐさま分裂して回避された。
『…やはりね』
手首のナディアが呟く。
『透、あのホラーは<ガリディモス>よ。百以上からなる“郡体”を成す、珍しいタイプよ」
『その百以上ある郡体はそれぞれに意思を持つが、同時にひとつの意思でもある。…ちょいとばかり厄介だぜ』
ナディアの解説にザルバが付け足した。
「どんな相手だろうが、陰我を断ち切るのが俺たちだ…!」
鋼牙が低く呟き、魔戒剣の切っ先を空に掲げる。その隣で僕も魔戒剣を振るい、頭上に召喚輪を描く。刹那、光芒が煌き、魔戒天使が鎧を導く。
金色の鎧が鋼牙を、黄金騎士・牙狼<ガロ>へ。
水晶の鎧が僕を、水晶騎士・氷翠<ヒスイ>へ。それぞれ変える。
「はッ!」
先行した鋼牙が牙狼剣とともに<ガリディモス>へと突っ込む。振り上げた刃が、金色の軌跡を描き、<ガリディモス>を捉える。
が、魔獣はあざ笑うかのように分離し、鋼牙の背後で再び元に戻った。
「!」
無論、駄々漏れの気配に気づかぬ鋼牙ではない。振り向きざまに斬撃を連続して繰り出した。
「く…っ」
だが、鋭い攻撃はひとつも当たらず、逆に分裂した<ガリディモス>のパーツが一斉に襲い掛かってきた。
「うおっ!?」
前方からの攻撃を牙狼剣で受け止める牙狼だったが、がら空きになった背中に体当たりをされ、片膝をつく。
「鋼牙!」
背後を飛び回っていたパーツを、氷翠刀で叩き落そうとする。が、思いのほかすばしっこいそれはするりと避け、反撃とばかりに僕の顔面を強かに打ちつけてきた。
「くそ、全身に目でも付いてるのかこいつ…」
言いながら、間抜けなことを呟いている自分に気づく。
『…いいえ、その可能性は無くはないと思うわ』
「なんだって?」
『そうか。<ガリディモス>は一にして全。全にして一。それぞれのパーツに視認可能な器官がついていたっておかしくはない』
…なるほど。昆虫の複眼みたいなもんか。複数の目で“視れば”、最強と謳われた黄金騎士の太刀筋とて見切ってしまうだろう。
ならば。
「鋼牙、ここは僕が!」
牙狼の前に立ち、氷翠刀を一度鞘に納める。
「どうする気だ?」
敵前にして武器をしまう僕に違和感を感じたのか、鋼牙が問いかける。
「相手がどんな太刀筋さえ“視て”しまうのなら、“視えなく”させればいい。…まぁ、まかせてよ」
「…?」
訝しげに僕を見る鋼牙。
『そうだな、水晶騎士なら攻略可能かもしれないな』
「どういうことだ、ザルバ?」
鋼牙の問いに、見ればわかるさとだけ呟くザルバ。
まぁ、“見れる”かどうかはわからないけどね。
ひとつ、深呼吸。
鞘を反転させ、相手に“峰”の部分が当たるように持ち変える。
「ホラー相手に“峰打ち”?」
牙狼の鎧を返召した鋼牙が眉をゆがめる。
その問いには答えず、僕は仮面の向こう側で目を閉じる。
全身の感覚を研ぎ澄ませ、周囲を飛び回るホラーの気配を捉える。
「……そこ!」
瞳を見開いた刹那、柄に手をかけ―――抜き打つ。
「な…!」
眼前を飛んでいたパーツのひとつが、真っ二つになって消滅した。
「いやぁ、これ逆刃でさ」
言ってなかったっけ?と氷翠刀を見せる。水晶騎士の命は、その刀身が文字通り水晶の如く透き通っている。
『…なるほど。あれがうわさに聞こえた水晶騎士の“不可視の太刀筋”か』
「不可視の太刀筋?」
鋼牙の鸚鵡返しに、ザルバが歯を鳴らして肯定する。
『水晶騎士の剣は、見てのとおり透明だ。そこへ抜刀術を組み合わせれば、変幻自在・視認不可能の軌跡が生まれるのさ』
「解説ありがとね、ザルバ」
再び氷翠刀を鞘に戻し、気配を殺す。分裂したホラーは、どこから来るか視ることのできない斬撃に戸惑っているかのようだった。
「…っは!」
再び鞘から閃光が走り、2、3度の斬撃がパーツを叩き落す。と、<ガリディモス>はよろよろとパーツを集め、本来の姿を取り戻した。
「フ…“眼”を集めたからって見切れるかな?」
三度の抜き打ち。<ガリディモス>の肉体を切り刻み、圧倒する。
「だが…一撃一撃の威力は弱い…どうするんだ、透?」
鋼牙がもっともな呟きをこぼす。
「…こうするのさ」
そう返して、鞘に魔導火のライターを当て、抜き打ちの構えを取る。隙を見出せないのか、<ガリディモス>はたたずんだまま動かない。
「……母親の想いを、生まれてくる子供の未来を踏みにじった貴様の陰我……」
氷翠刀を抜き放つと同時に、ライターのフリントを刀身が擦り、乳白色の炎が吼える。
「俺が! 断ち切る!!!」
魔導火の力を上乗せした斬撃が、一度…そして二度。<ガリディモス>の体躯を切り裂く。
僅かに漏れた呻きごと、ホラーの体が崩壊した。
「……虹色の、翼…」
背後から、鋼牙の呟きが聞こえた。
*
『やれやれ、なんか雪村の一人舞台になっちまったなぁ…』
「ま、そういうこともあるさ」
ザルバのぼやきに、苦笑しながら返す。
「さて、今回の報酬はいかほどかねぇ…?」
『たまにはもうちょっと残しなさいよ』
「ん? 何かに使っているのか?」
鋼牙の問いに「まぁ…ね」と答える。
「ちょっと、個人的に仕送りしてるところがあって……さ」
『まったく縁もゆかりもない児童養護施設にね。まったく、酔狂もここまでいくと才能よね』
ナディアのとげとげしい呟きを無視して、歩を進める。
白み始めた東の空は、今日も青空を届けてくれそうに見えた。
-了-
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というわけで、水晶騎士編はこれまで。
異聞譚シリーズ主人公たちもこれで一応全部出揃ったカタチです。
もちろん、これは終わりではなく始まりだと思います。
これから、どこかで彼らが出会ったりすれ違ったり。
ひょっとしたら、時には刃を交えることがあったりするかもしれません。
それがいつになるかは、まったくもって不明ですが。
映画化もありの。まだまだ牙狼は終わらない!
だから俺たちも終わらないぜぇ!!!
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