もつれそうになる足を必死に動かし、カオルと土田が夜の闇を縫って走る。
肺に酸素を送り込んでも送り込んでも足りない。心臓が早鐘を打つ。
「っはぁ……はぁ……」
これ以上はもう走れない、とカオルの足が唐突に止まった。
ちらりと後ろを見ると、カオルに無理やり手を引かれて妙な体勢で走ったためか、土田も肩で息をしていた。
「こ……ここまできたら……もうだいじょう……ぶかな……ハァ」
「で……でしょうか……ねぇ……はぁはぁ」
大きく深呼吸して、土田は身体を起こした。魔戒騎士にあこがれて鍛えてきたと豪語するだけあって、息が上がっていたのはほんの数刻だ。それでもまだ胸は上下していたし、全身は汗でベタベタになっていたが。
「あの、さっきの人は……?」
「あ、うん。あの人なら大丈夫。あなたが昔あった人の……まぁ、仲間みたいなものだから」
カオルの言葉に、ああと納得する。背中の雰囲気が似ていた、とは土田の弁だ。
「とにかく、人のいるところに行きましょう」
少しでもホラーと離れた場所に向かわなければ。そう言うカオルの背後で何かが蠢くのを、気づくのは誰もいなかった……
*
「っは!」
双剣が闇を裂く。切っ先を躍らせ、零が宙を舞った。
「……うん?」
と、その表情が怪訝にゆがむ。
『どうしたの、ゼロ?』
「手ごたえが妙だ……まったくないわけじゃないんだけど……」
たとえるならば、実体のある霞を斬っているような。
ダメージは確かに与えているようで、ホラーは目に見えて弱っていくのだが、気配が薄れる様子はない。
『……ゼロ、指令書の内容、覚えていて?』
「……俺も今、同じことをシルヴァに聞こうと思ってたところさ」
二人の間で、答えが結びつく。
『銘は<シェルエード>。一見ホラーそのものに見える姿は虚像で……』
「本体は虚像の……影っ!」
ホラー・シェルエードの足元に双剣を突き立てる。が、何も起こらない。
「……っ!?」
『まさか……』
シルヴァの身体を形作るソウルメタルが、彼女の驚愕に反応して軋む。
『シェルエードは虚像を残したまま、建物などの影を伝って移動が可能よ!』
「ってことは……あの二人が危ない!」
踵を返し、カオルたちを追おうとする零だったが、その行く手をシェルエードの虚像が阻む。
「っち……どうやらいったんこいつを倒さないと、お姫様と従者は助けに行けないみたいだねっ」
双剣を天に掲げ、零は双つの輪を描いた。
*
「あ……ああ……」
土田の瞳に、黒々とした巨体が映る。
シェルエードの<実体>は、その標的を土田に定めたらしく、大きな手のひらを少しずつ彼に向けていた。
「……だ、大丈夫……ですかあっ!?」
月明かりに照らされたカオルの影から現れたシェルエードは、彼女を突き飛ばし、まっすぐに土田に肉薄していった。
そのためカオルは、気絶こそしていたものの、ほぼ無傷でアスファルトに倒れ伏していた。
「ま……ままま、守らないと……!」
コートの中に隠し持っていた木刀を引っつかみ、正眼に構える。
かつて見た、白いコートの背中を思い出す。
そうだ、彼が自分にしてくれたように……そしてさっき、彼女がしてくれたように……
「おれがっ、このひとっ、守らな……あああああっ!」
渾身の力を以って、木刀を振り下ろす。
「……っだ!」
が、シェルエードの手のひらに触れたとたん、脆い割り箸のごとく、木刀は真っ二つに折れ飛んでしまう。
「っひ……!」
手の中に強烈な衝撃としびれが広がり、足がガクガクと恐怖に笑い出す。
シェルエードは余裕綽々とばかりに、ゆっくりとその醜悪な顔を土田に近づけていく。
「あ、ああ……」
街のチンピラ風情とは次元の異なる恐怖が、土田を苛み、彼の腰を抜かせる。
股間の辺りに暖かいような冷たいような感触がじわり、と広がった。
「――――」
大きく口を開くバケモノ。土田は口だけをあけて何かを叫ぶ。
いや、叫んだのかどうかもわからない。とにかく何かを発したような……
命の終焉を覚悟した刹那、土田の視界を埋めていた真っ黒な魔獣の口腔の真ん中を、黄金の閃きが縦一文字に走った。
「……えっ?」
次に口をついて出たのは、単純な疑問符。何が、と思うまもなく自分の身体が後ろへと吹っ飛ばされる感覚を覚え――彼は意識を手放した。
*
(なんだろう、この感じ……)
ホラーに突き飛ばされたカオルは、淀む意識の向こうで不思議な感覚に包まれていた。
(熱い……? ううん、あったかい……)
冬の朝、起きる気力をなくす寒さの中で己の身を暖めてくれるブランケットのような、暖かくやさしい感覚。
(……あっ)
不意に、それが離れる。
(だめ、行かないで……!)
離れて欲しくない。その一心で手を伸ばし――
(鋼牙――!)
「……だと思った? 残念、零くんですよ~」
「……え?」
伸ばした手をそっと掴み、零がくす、と笑った。
*
「じゃあ、零くんがこっちに着いたら私とこの人が倒れてて……?」
「そ。全部終わってましたってコト」
シェルエードの虚像を撃破しようと剣を振りかざした途端に相手が掻き消え、本体が倒されたと即座に判断した零が駆けつけると、うつぶせに突っ伏して目を回している土田と、街路樹に背を預けて眠るカオルの姿を見つけたのだ。
「じゃあ、いったい誰が……」
「さぁね。俺じゃないのは確かだけど」
案外、ホントに鋼牙が来てたりしてね。と冗談めかして言う零の言葉に、カオルは先ほどのぬくもりを思い出す。
あのときのぬくもりは、ひょっとしたら想い人の腕のものだったのかもしれない。
もっとも、それを確かめるすべはないのだが。
「さて、もう起きれるよね?」
掴んだ手を引っ張り、立ち上がらせる。まだ震えは残っていたが、足はしっかり地面を踏んでいた。
「おーい、起きろー。終電ですよー」
ひっくり返っている土田を揺り起こす零を横目に、カオルはふと月を見上げる。
(ねぇ鋼牙――)
あなたも今、この月を見上げている?
どこにいるとも知れない、愛しい人に向けて尋ねる。
「月が――綺麗ですね」
「ん? なんか言った? カオルちゃん」
「……ううん、何も」
含み笑いを浮かべるカオルに、零とシルヴァは顔を見合わせて首をかしげた。
*
あの夜の一件以降、カオルの口から鋼牙の話題は大分減った。
言葉を重ねても、帰ってこないときは帰ってこない。
ならば待とう。
(待つのは、たぶん得意なほうだし……嫌いじゃあないしね)
何より、心はすぐそばにある。予感ではなく、これは確信。
「……頑張れ、鋼牙」
私も頑張るから。
小さくそう呟いて、カオルは書きかけのキャンパスに向かう。
次の個展の看板作品となる予定の絵は、カオルの手で鮮やかに命を吹き込まれていった。
・
・
・
ところで、あの土田なる男。
あの夜に出会った魔戒騎士――零に憧れの対象が移ったらしく、今は黒いコートで夜な夜な街を徘徊しているらしいのだが……
それはまた、別のお話である。
-了-
さて、そんなわけで冴島鋼牙ニセモノ騒動、これにて幕でございます。
とりあえず当初の予定通り3コマで終わりましたが……まぁ書きたいネタは書ききれたので善しとしましょう(何様
あ、一応本作登場のオリジナルホラーの説明だけ。
○シェルエード
影を媒介に活動するホラー。元来ホラーは影から影へ移動する特性を持っているが、それをさらに強化させ、普段は本体を影に偽装し、虚像を出現させて操る能力を持つ。
反面、ある程度影が出る環境でないとまともに活動が出来ないため、出現は満月の夜に限られる。
その弱点を除けば、ほぼ全域が影といえる夜闇の中では無敵と言えるが、人間を捕食する際に実体化するため、その瞬間が最大の弱点である。
さて、明日以降も当面は牙狼関連のSSで攻めていく予定。
さしあたって「銀の髑髏と黄金の風」を2本ほどいけるかなーといったところです。
今後も「執筆奏上!」は続いていきますので、応援よろしくですー