――女の子にとって、キスとは神聖なものなのだ。
という言葉をどこで見たのか、あるいは聞いたのか。
一昨年嫁に行った姉さんの持ってた少女マンガだったか、昔日曜の朝にやってたアニメだったかもしれない。
まぁともかく。そういうものであると、僕は思っていた。
それを“幻想”だと言わんばかりに、真っ向からぶっ壊すやつと出会うまでは。
Friendry_Kiss
「おはよっ!」
挨拶の声が耳朶を打つや否や、左頬に柔らかな感触。その正体が何かと、気にするのももはや面倒なレベルである。
「……はよ」
「もーっ。最近リアクション薄いなぁ。初めてほっぺにチューしたときのあの初々しいリアクションはどこに行ったの?」
そりゃファースト・インパクトこそ驚天動地を具現化したようなもんだったが、こうも毎日毎日されれば諸々薄れるというものだ。
「右のほっぺにしたらどうかな?」
「変わるかンなもん」
ジト目での講義に、目の前の少女がふくれっ面をしてみせる。そんな表情ですら可愛いと思えるものなのだから、いわゆるひとつの“美少女”とかいうカテゴリに入るコなのであろう。
幼少期を仏国で過ごしたという、いわゆる帰国子女である彼女と出逢ったのは、今から1年ほど前のことだ。
初めて利用したらしい図書館でシステムが良くわからずおろおろしているところに、たまたま近くにいた俺が助け舟を出した――まぁ良くあるといえば良くあることだ。
もっとも、話しかけたら返事がいきなりフランス語全開で、逆にこっちがおろおろしたものだが。黒髪長髪の超日本人顔からフランス語が飛び出してきたら、仮に喋れても驚くと思う。
ちなみにこの話を友人にしたら、「どっかで聞いたようなボーイ・ミーツ・ガール」とか言われた。知らんがな。
まぁそんなことがきっかけで知り合い、同じ学校に通うことになった転校生だとわかった(しかも狙ったかのように同じクラスだった)り、彼女からの頼みで日本語の勉強に付き合ったりして、とりあえずは友人としてのポジションにいる僕だ。
「おっはよー! mon ami!」
リアクションの薄い俺との会話に飽きたのか、少し先を歩くクラスメイトの女子たちに片っ端から飛びつき、熱烈なキスを見舞っているのを視界の端に捉え、俺はやれやれと荒くため息をついた。
さすがはキスが挨拶のお国柄育ち。フレンチキスはお手の物ってかな?
以前、いくらなんでもと咎めたことがあったが、「友達にしかしないよ」とどこ吹く風だったっけ。
さしずめ僕はキス・フレンドってところか。
「いやー朝からええもんみさせてもらってますわー。ナンマンダブナンマンダブ」
「……朝からぶっとんでるなお前は」
後ろから珍妙な念仏。正直友人であることをなかったことにしたいがそうもいかない彼は、先の僕と彼女の出会いの一件を「どっかで聞いた」と評した男だ。
「これがぶっとばずにいられるかよ。朝から女の子同士のキスシーン拝めるとかそうそうないぜ。ふはは、キマシタワー建設ラッシュキタコレ!」
……誰がうまいこと言えと。
「しっかしまぁ、お前もうらやましいねぇ?」
「何がだ?」
お前じゃないんだから、女の子同士のキスを間近で見たくらいで興奮とかはしないぞ。ちょっとドキドキはするが。
「そっちじゃねえよ。いやそれもうらやまだけどな」
「?」
心当たりが無いので首をかしげる。「気づいてねえのか」と呆れ顔の友人が僕の左頬……さきほどあいつにキスされた場所にぐりぐりと人差し指を押し付けてきた。
「あのコがキスしてんの、男じゃお前だけなんだぜ?」
「……は?」
いやまぁ、確かに他の男にキスしてるとこは見たこと無かったけども……?
「別にそれがどうこうってわけでもないだろ? 友達にしかしないって、前僕に言ってたし」
「それ、真に受けるのか……。ま、まぁお前がそう思うんならそうなんだろな」
お前の中では。と付け加えて、友人は盛大にため息をついて見せた。
* * *
「……ごめんなさい。お友達でいさせてください」
――放課後。
聞きなれた声と、見るからに落ち込んだ男子生徒の背中を見つける。
「やあ。あいからずモテるな」
「うあ……いたの?」
通りがかっただけだ。と伝えると、少々訝しげに僕を見ていたが、すぐに「まぁいいか」と笑顔に戻った。
「まぁ、黙ってりゃ可愛いからなぁお前は」
「黙ってりゃ、は余計ですー」
ぷぅ、とむくれた後、もう一度小さく笑ってみせる。何かを誤魔化すように。
「……ねぇ」
「うん?」
話しかけようとして、躊躇する。その視線はいたるところを泳ぎ、不意に俺と目が合うと全力で逸らす。なんだこれ。
「キスして、いい?」
「は?」
珍しいこともあったもんだ。大体において僕にキスする時に、わざわざ断りを入れることなんて無かったのに。
「……いいの? ダメなの?」
「……」
返事に困る。
というか、なんでこのタイミングだ。
僕の知らない誰かに告白されて、それを断って。その後でとか。
僕か? 僕がその現場に居合わせてしまったからか?
「あーっと……」
「あ、や、ゴメン! 今のナシ! それじゃ! A bient?t!」
口を開きかけたのと、全力ダッシュであいつが走り去ったのはほぼ同時だった。
――それからしばらく、あいつが僕の前に出てくることも、キスをすることも無く数日が過ぎた……。
* * *
朝の澄んだ空気の中、通学路をのんびりと歩く。
と、後ろに人の気配。振り向かなくても誰かわかるそれは、こっちに来ようか否かをしきりに逡巡しているかのようだ。
「……よし」
お、決めたかな。
「おはよ!」
気配が僕の左側に来た。今だ!
「ん……!」
飛び込んできたタイミングにあわせて、顔をそっちへ向ける。いつも同じように食らってきたんだ。逃すわけが無い。
触れ合った唇同士の感触に、今度はあいつが目を丸くする番だった。
「……っぷは」
これがマンガだと歯とか激突してひどいことになるところだが、なんとかセーフだったらしい。僕の唇を見つめ、続いて自分の唇に触れて、あいつの顔がみるみる赤くなっていく。
「な、な、ななななななな……!」
「いいよ?」
「何が!?」
僕の言葉に、パニクりながら聞き返してくる。
「いや、この間のさ。“キスしていいか?”ってやつの返事」
「……へ?」
この数日間。僕だって何も考えなかったわけじゃない。
こいつが何を思ってあんなことを言ったのか。そして僕はどう思ってるのか。
気がついたら答えは簡単だ。
「ただし、条件がひとつ」
「……?」
所在無く震えているあいつの手を握り、恥ずかしさに顔を背けながら、それでも視線は離さずに……離せずに、言いたいことをちゃんと言う。
「もう僕以外とキスすんの、なしな。特に男とすんのは」
「……やってないよ」
小さな声で、反論が聞こえる。
「初めてキスしたときから……男の子には、あなたにしかしてないよ」
「……ん、知ってた」
少しだけ、僕の手をとる力が強まる。
「……女の子相手もダメ?」
「……できれば」
女相手に嫉妬するとか、僕もまだまだかも知れないが。
「じゃ、やめるね」
ぱっ、と僕の手から離れたと思ったら、不意に腕にかかる重み。
「その代わり、あなたとこれからいっぱいキスするから……」
チュ、と。
さっき外した左頬へのキス。
「覚悟しててね?」
満面の笑みでそんなことを言う。なんてこった。
「……まいったな」
これから僕たちは、一体どれだけのキスを交わすのだろう。
……と考えかけて、やめた。
既に数えるのを放棄したくなるくらいに、キスをもらってたから。
腕に感じる暖かな重みを引っ張りながら、引っ張られながら、僕たちは学び舎へと歩く。
キスとともにある日常こそ変わらないが、確かに変わった、新しい日々を思いながら。
-fin-
5月23日はキスの日!
このネタを知ったのが2年前。当時は既に日付が遠く過ぎ去っていた後だったので、翌年に持ち越しかな……だったのですが
昨年は昨年で精神的に参ってて執筆自体がままならずorz
というわけで今回2年越しの実現と相成りましたキスの日ネタ。
まぁネタ自体はほぼ即興なんですけどね(ぇ
単にキスの日になんか書きたい!ってだけで動いてたので。
特に名前も何も決めていない。かろうじて高校生くらいを想定して書いてる有象無象のラブストーリーでありますれば、いかがでしたでしょうか?
読み切りなのでこれ以上もこれ以下も展開はありませんが、反響があればあるいは?(適当